言葉の力<16>

言葉が人間を使っている。

 

この章の冒頭に書いた「この目の前にある言葉は、僕が本当に書いたものなんだろうか?」という問いに対する答えだ。

 

その事実に気がついたとき、ただ笑ってしまった。それ以外に反応のしようがなかった。子供の頃から、「言葉と意味」の関係について考えてきたけど、気がつけばあたりまえのことなのだが、それに気がつかず生きてきた自分の愚かさに驚いて笑うしかなかった。

 

そして同時に、二千年以上前にある人物が書き残した言葉の意味も分かった。大学時代に読んで「こんな言葉が何故残ってきたんだろう?」とずっと不思議に思ってきたが、その意味が分かるようになった。そして、ある人物が書いた書物が現代にまで連綿と読み継がれてきた理由が分かった。ある人の問いが、別の人に読み継がれ新たな問いを生む。まさにこのこと自体が「言葉が人間を使っている」ことの一面を表していた。

 

今まで、僕は「言葉は人間の道具」のように思ってきた。でもそれは間違いだった。言葉は人間の道具ではない。「人間が言葉にとって道具」なのだ。本当に価値ある言葉は、言葉が人間を道具にして書かれたものだ。その言葉から人間に書かせようとする意思が「言霊」だ。言葉の方から人間に書かせた文章は「個」を超えている。だからこそ羅針盤のように書いた本人に進むべき道を力強く示してくれる。

 

人間が言葉を使っている。

 

のではない。

 

言葉が人間を使っている。

 

たった一つ事実が分かっただけで、自分と世界の関係が一変してしまった。

 

この事実、誰かが書いた「言葉を読む」という立場では分からなかった。自分で「言葉を書く」という立場になって初めて分かった。自分でもまさかゲイブログを書き続けて、こんな場所にたどり着くなんて思いもしなかった。思い返せば、毎日文章を書いていた時、生活の大半を文章を書く時間に捧げていた。でも僕にとっては、この事実が分かっただけで文章を書き始めた全ての意味があった。言葉を使って有名になるだとか、お金を稼ぐだとか、そういったものよりも人生においてより本質的なものを手にすることができた。そもそも、そういった目的のためだけに、何十万枚の原稿用紙を書き続けても、この事実に気づくことはないだろう。それに、この事実が分かったとしても何かの生活で役に立つわけではない。「この人とは分かり合える」と感じる人の数が減るだけだ。分かり合える人の割合が100人に1人から1000人に1人以下に減っただけだ。ただ、それは何の問題にもならない。目には見えないけど、より本質的なものと繋がっているからだ。その繋がりは、もはや生死を超えている。死んでいようが、離れた所にいようが、実際に身近にいる人たちよりも言葉を通して確実に繋がっているからだ。

 

言葉はあでやおろそかに使っていけない。

 

言葉は僕のものではないからだ。

 

<つづく>